こんにちは!
皆さんお元気でしょうか。Georgです!
今回の投稿は「大阪城へ行ってきました。その②」ということで、前回からの続きとなります。
よろしければ前回の「大阪城へ行ってきました。【その①お昼ご飯編】」から見ていただければ幸いです↓↓
前回は大阪城公園へ行き昼飯を食べるところまで書きましたので今回は、本編であります、大阪城散策を書いて行きます!
上のマップが今回散策したルートになります。
前回投稿したサブウェイをスタート地点としてルートを記載しています。
早速大阪城内に向けて出発!
外堀の外周からまず出迎えてくれるのは、青屋門です!
青屋門は、元和6年(1620年)に徳川幕府により創建され、その後2度被災(半焼・大破)しているようで、現在の青屋門は昭和44年に大阪市が残材を用いて再建したものとのことです。
青屋門を通過しすると早速大阪城が見えてきました!
左に進むと
大阪城梅林への入口がありましたが、梅の時期ではないので、今回は分岐右のルートへ。ちなみに梅は下の写真のような種類があるようです。
そのまま道なりに進んでいたのですが、梅林の方をふと見ると気になる建物が。。。近寄ってみると。。。
はい、和風なローソンとトイレでした(笑)
特に何かある訳ではないのですが、珍しいタイプのローソンでしたので近くに行ってみただけでした(笑)普段は営業しているのでしょうか?
元のルートに戻り進むと、思い出の地が現れました。
先ほど思い出の地と書きましたが、後ほどまた説明しますが、中学生の頃によく自転車で大阪城に来ていたのですが、友達とよくこの坂を足を着かずに登り切れるのかの勝負をしていました。下りでは猛スピードで下り、どこまでペダルを漕がずに進めるかとか(笑)※危険ですので真似しないように!
ちなみにこの坂は雁木坂(がんぎざか)という名称のようで、明治維新以後の陸軍管轄時代にはダラダラ坂と呼ばれていたそうです。現在の坂は盛土によって坂の勾配は緩やかになっているとのこと。・・・元々の勾配はどのくらいあったのでしょうか(・ω・)
坂を登り切ると、本丸地区まではもう少し!
豊国神社をすぎると桜門が見えて来ます。
桜門前には露店も出ていました!
この桜門も青屋門と同じく、2度ほど焼失・倒壊しており、昭和44年(1969年)に復元されているそうで、門の両脇に見える巨石は龍虎石【りゅうこいし】と呼ばれ、江戸時代には、雨が降ると右に龍の姿が、左に虎の姿がそれぞれ現れると言われていたとのこと。本日は晴天のため、確認はできませんでした(・ω・)ノ
桜門を通過するとすぐ目の前には巨大な、超巨大な石が!
城内第1位の巨石とのことで、名前は蛸石【たこいし】と呼ばれ、表面積が36畳(59.43平米)、重量はなんと108トン!と推察され、備前(現岡山県)産の花崗岩が用いられているようです。
向かいにも綺麗に加工された大きな石の石垣?があり、重機も無い時代の当時の運搬技術・加工技術の凄さを感じました。
道なりに進むと
きました!大阪城!美しいですね!!
大阪城について調べたところ「大阪城は天正11年(1583年)に築城されたそうですが、豊臣秀吉が築いた大阪城の遺構は、現在ほとんど埋没しており、現在地表に見ることができる大阪城の遺構は1620年〜1629年にかけて徳川秀忠が実質的な新築に相当する修築した物(Wikipediaより引用)」とのことです。
自分だけかもしれませんがイメージとしては豊臣秀吉のお城というイメージが強いので意外でした。
現在は工事中でしたが、豊臣時代の石垣公開施設が建設中とのことで、完成したらまた散歩に来たいと思います。
今回天守閣までは入りませんでしたが、外国人と観光と思われる方が多かったです。また、天守閣入口前に検温所が設置されており、しっかりとコロナ対策もおこなわれていました。
次は本丸から内堀の外まで戻り、西の丸庭園の方へ向かうのですが、また長くなってしまいましたので次回投稿に持ち越しです!(長くてすいません(^_^;))
また次回も閲覧お願いします!
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